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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)2287号 判決

原告 根岸悦子

右訴訟代理人弁護士 久保利英明

同 内田晴康

同 小林啓文

同 内藤加代子

被告 タイム・インコーポレイテッド

右日本に於ける代表者 城戸英彦

右訴訟代理人弁護士 山川洋一郎

同 吉川精一

同 喜田村洋一

同 須山伸一

同 藤本英介

同 行木武利

主文

一  被告は原告に対し、三〇万円及びこれに対する昭和五九年三月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、六〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年三月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は別紙一記載の謝罪広告を全国の朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、サンケイ新聞、日本経済新聞の朝刊各版通して全二段抜きで各一回あて掲載せよ。

3  被告は別紙二記載の謝罪広告を被告の発行する週刊誌「TIME」の一頁全面に掲載せよ。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  第1項及び第4項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、産婦人科を専門とする医師であり、臨床医としての活動のほか、女性の保健や健康確保並びに新しい性教育の確立等をめざして幅広い活動をしている女性である。

(二) 被告は、週刊誌「TIME」を発行している会社である。

2  被告は、「TIME」一九八三年八月一日号(第三一号以下「本件雑誌」という。)において、日本特集を行い、右特集中「SEXES」と題して別紙三1記載の記事(以下「本件記事」という。)を掲載し、発行した。

3(一)  「TIME」の平均的読者は、本件記事中の別紙三2記載部分(以下「本件記載」という。)中、原告の発言部分は、「Tow out of three Japanese women have had an abortion, which is so common, "it is like having a tooth out"」であると理解するものであるが、原告が、本件記事の担当記者ジェイン・オライリィー及びアラン・タンズマンの取材(インタビュー)を受けたことはないし、他のいかなる者に対しても、本件記載のような発言をしたことはない。

(二) 本件記載の、日本人女性の三人に二人が妊娠中絶の経験があるというのは、科学的な根拠のない虚偽の数字であるうえ、右虚偽の記載部分に続く「"it is like having a tooth out"」と、原告の発言として記載されている部分は、原告自身が、妊娠中絶を抜歯のように軽く考え、妊娠中絶を軽んじている印象を読者に与える。

(三) 原告は、産婦人科医師であるのみならず、女性の保健や健康確保並びに新しい性教育の確立等をめざして幅広い活動をし、特に妊娠中絶については、その重要性を認識するが故に、極めて慎重な態度を堅持してきた者であり、このような原告にとって、取材を受けず発言していない内容を、あたかも原告が右のような発言をなしたものとする本件記載の掲載行為は、原告が一貫して維持し長年にわたって築き上げてきた妊娠中絶に対する慎重な態度を捨て去ったとの印象を与え、不法行為としての名誉毀損行為である。

4  被告は、故意又は過失をもって、本件雑誌に本件記載を掲載したものである。

5  原告は、本件雑誌が全世界で約六〇〇万部発行されたことによって、その名誉を毀損され精神的苦痛を受けたもので、右苦痛に対する慰謝料は、金銭に見積もると、六〇〇〇万円を下らない。

6  よって、原告は被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、請求の趣旨第二、第三項記載のとおり謝罪広告を掲載することを求めるとともに、六〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の後の日である昭和五九年三月一七日(訴状送達の日の翌日)から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は知らない。

2  同1(二)の事実は認める。

3  同2の事実は認める。

4  同3の事実中、本件記載の担当記者ジェイン・オライリィー及びアラン・タンズマンが、原告を直接インタビューしたことはないことは認める。原告が他のいかなる者に対しても、本件記載のような発言をしたことはないとの事実は知らず、その余の事実は否認する。

(一) 「TIME」誌は、日本の週刊誌と比較するなら「朝日ジャーナル」程度の高級一般週刊誌であり、「TIME」誌の平均的読者は、英語の文法を理解し、読みこなす力のある、教養のある層である。

(二) 右平均的読者は、本件記載中の原告発言引用部分を「"it is like having a tooth out"」の部分のみであると理解する。

それゆえ、「Two out of three Japanese women have had an abortion,」の部分は、原告の発言とは理解されない。

(三) 右(二)記載の原告発言引用部分も、妊娠中絶が日本の社会においてしばしば行われることをあたかも抜歯と同様であるという頻度について述べたものにすぎず、それ以上に妊娠中絶についての何らかの倫理的、道徳的意見を表明したものと受け取られることはないのであり、原告の名誉を毀損するものとはいいえない。原告は昭和五七年一二月二四日頃、共同通信社吉田隆彰記者に対して、「現代社会と性に関する専門調査委員会」のアンケート調査によれば、回答者が妊娠中絶の有無について多くが肯定的な回答をしているのに、手術例として妊娠中絶をあげた人は三人しかなく、また抜歯も手術例としてあげていないという事実を指摘し、「妊娠中絶を手術歴の中に書かなかった人は抜歯のように考えているのかな。」「面白いなあ」という趣旨のことを発言しており、本件記載の内容は実質的に原告の右発言と異なるものではない。

(四) ジャーナリズムの世界においては、記者が発言者に対して直接インタビューをなさず、他の記事等からその発言を引用する場合であっても、発言者の発言を「said」ないし「says」の表現を用いて記載し、発言の出所、引用表示をしないことが、通常であり、このような手法は、高度な学術誌の場合は別論、「TIME」誌のような一般週刊誌にあっては当然許されるものである。

5  同4の事実は否認する。

6  同5の事実中、本件雑誌が全世界で約六〇〇万部発行されたことは認め、その余の事実は否認ないし争う。

三  原告の反論

原告が吉田記者に対して発言した内容は、アンケート回答者の多くは、妊娠中絶を抜歯のように軽く考えているのではないかという疑念であり、英文毎日新聞及び英文読売新聞等の記事は右原告の発言とほぼ同趣旨の内容となっているところ、本件記載は、原告自身が、妊娠中絶を抜歯のように軽く考え、妊娠中絶を軽んじている印象を読者に与えるものであり、原告が吉田記者に発言した内容及び英文毎日新聞及び英文読売新聞等の記事と、意味内容が全く異なっている。

第三証拠関係《省略》

理由

一  争いのない事実

被告が、週刊誌「TIME」を発行している会社であること、被告は、本件雑誌において日本特集を行い、右特集中「SEXES」と題して本件記事を掲載し、右雑誌は全世界で約六〇〇万部発行されたこと、本件記事の担当記者ジェイン・オライリィー及びアラン・タンズマンは、本件記事を作成するにあたり、原告を直接インタビューしていないことの各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  事実関係

《証拠省略》を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

1  原告の経歴、活動等

原告は、昭和一五年三月二一日福島県下山中の無医村に生まれ、幼少のころより母、姉その他身辺の女性が病気、妊娠、分晩後の育児に関わりながら、農業、機織り等の重労働に従事している姿を見て、医者になろうと志し、県下の高等女学校を経て、福島県立医大を卒業した。その後、原告は東京医科歯科大学でインターンを行い、産婦人科専門の医師となり、東北大学産婦人科、山形県立新庄病院の勤務医を経て、昭和四二年から昭和五五年まで東京医科歯科大学に勤務し、産婦人科専門の臨床医として各地で研鑚を積んだ。原告は右農村部、下町の各勤務先の病院において、多数の安易な妊娠中絶患者の問題にぶつかり、ひどくショックを受け、爾来、産婦人科専門医として、妊娠中絶問題を女性の地位、子供の環境等と関連させ重要な問題としてとらえ、臨床医としての活動のほかに、婦人問題の相談、婦人講座、PTA、全国での大学での対話集会を催したり、その他「ウーマンズボディ」「ライフサイクルブックス」「セックスアンドブレイン」等の合計一八、九冊の性に関連した女性問題、児童の育成等についての啓蒙書の翻訳、出版等をした。

以上のようにして臨床医となった直後から、原告は、農村部の婦人の妊娠中絶の現状あるいは下町における若年者、貧困家庭の妊娠中絶の現状に直面し、妊娠中絶を終生の研究対象とするようになったが、妊娠中絶は単に医学的問題にととまらず、倫理観、宗教観、歴史観等に拘わる問題として認識しており、女性にとって妊娠中絶がいかなる意味をもつのかという点について、未だ確固たる見解を有しておらず、更に問題意識を抱き続けていた。

原告は、著書「女四一歳」「現代性教育研究」においても、医師として体験した農村部及び東京下町の妊娠中絶の客観的状況について発言し、また昭和五六年ころから足掛け四年かけてマイケル・ポッツ他著「アボーション」を翻訳した訳書「文化としての妊娠中絶」(昭和六〇年三月出版)中の訳者あとがき欄においても、妊娠中絶に対する極めて真摯かつ慎重な態度を表明したのみで、その明快な肯否の意見を表明したことは全くなく、その他マスコミに対して妊娠中絶に関するコメントをしたことも、その他公の場面で妊娠中絶を軽々に扱う発言をするようなことはなかった。

2  本件記載の掲載に至る経緯等

(原告の吉田記者に対する発言等)

(一) 共同通信社は、昭和五六年一〇月頃、日本の中高年の性の状況を調査、報告する目的で「現代社会と性に関する調査委員会」(以下「調査委員会」という。)を企画組織した。右委員会においては、一〇〇〇人のサンプルに対してアンケート調査を行い、その集計結果を基に、専門委員によって非公開の分析討論がなされ、共同通信記者斎藤茂男(以下「斎藤記者」という。)、同社社会部記者吉田隆彰(以下「吉田記者」という。)、同池田、同仲(以下「仲記者」という。)が右委員会の調査に関与し、各記者が専門委員を取材しその分析成果を取り纒める作業に従事していた。

原告は、調査委員会の唯一女性の専門委員として「避妊と妊娠中絶」のテーマを担当した。

(二) 吉田記者は原告に対して、昭和五七年一二月頃、先に原告宛に送付されていた避妊と妊娠中絶に関するアンケート集計結果についての専門委員としての分析コメントを依頼し、原告と吉田記者は、同月二四日、池袋の喫茶店において会談した。なお吉田記者は、右会談中、原告の了解を得て、右会談を録音し、同時に吉田記者自身が興味を持った原告の発言を書き留めていた。

原告と吉田記者の右会談は、避妊、妊娠中絶、閉経等の問題に及んだ。

原告は吉田記者に対して、右会談中、回収されたアンケートを通覧し、①右アンケートによれば妊娠中絶経験者がかなりいること、②一方既往の手術歴の欄には、子宮筋腫等婦人科関連の手術例の記載がなされたものはかなりの数に及んだが、妊娠中絶が手術例として記載されているのは三例しかないことを指摘した。

そして原告は、右アンケート結果から、調査の対象とされた大多数の女性がなぜ手術歴として妊娠中絶を記載しないか、何か手術歴として記載できない理由があるのか、あるいはアンケートに回答した女性達が妊娠中絶を手術として意識していないであろうかといった疑問を抱いた。更に原告は、手術例に抜歯も記載されていないことを発見し、吉田記者に対して、「抜歯も書いていない」と発言した(以下「本件発言」という。)。

これに対して、吉田記者は確かに手術例に抜歯が記載されていない旨応答し、その際吉田記者は、原告の発言の表現に記者として興味をもち、同記者のメモ中に、本件発言につき「抜歯のような感覚か」と記載しその下に「?」(クエスチョンマーク)を付したメモを作成した(以下「吉田メモ」という。)。

仲記者は、各記者が取材してきた調査委員会の各委員のコメントを纒める作業に従事しており、吉田メモの提出を受けた。

仲記者は、吉田メモに記載されていた原告の発言を「一七五例中、婦人科関係六二例、妊娠中絶を手術とみなしていないのはなぜか、不思議。妊娠中絶を手術歴に入れた人はわずか三例、一般は一三五例中たった一例。妊娠中絶も抜歯と同じという感覚か。以下根岸悦子先生補足」と要約した(甲第一〇号証、以下「仲メモ」という。)。

仲メモは、その後の調査委員会において、調査委員の閲覧に供せられたが、原告及び他の調査委員から異議は出されなかった。

(ヘイマン記事の作成・配信の経緯とその内容)

(三) 共同通信社社会部部長は、昭和五八年三月ころ、調査委員会の調査報告を資料として、海外向けに配布する英文記事に取り纒めるよう、同社海外部部長に依頼した。右海外部部長は、同社記者ロズリン・エリカ・ヘイマン(以下「ヘイマン記者」という。)に、右記事の作成を命じた。

ところでヘイマン記者は、昭和五四年六月共同通信社海外部に入社し、昭和六〇年一月同社を退社するまでの間、フリーフィーチャーライターとして英文の長文記事の作成を担当していたオーストラリア出身の女性記者であるところ、同記者は、本国のメルボルン大学を卒業後、昭和四六年から昭和五二年まで日本に留学し、東京大学大学院(言語学専攻)を卒業し、翌五三年日本人男性と結婚し、爾来、日本に居住するかたわら、前記共同通信社記者として、活動するようになっていたが、その学歴、生活環境上、日本語に精通し、その理解力は相当程度のものであった。

ヘイマン記者は、当初、調査委員会の調査報告及び関連の情報を含む日本紙向けの社会部記者が書いた記事を受け取った。同記者は、右資料では、海外向けの記事を作成するには不十分と考え、更に同記者自らが社会部記者に依頼して、右調査委員会の調査表、回答の集計等の引渡を受けた。そして同記者は、これらの資料をつぶさに検討したが、調査委員のコメントあるいは一般の評論家等のコメントが欲しいと考え、更にこれら関連資料の引渡を社会部記者に依頼した。

このような経緯で社会部記者から入手した調査委員のコメント入りの資料は、日本語で記載された一二ページ位の手書きコピーで、各委員が調査項目について意見を述べたり、雑談風に意見を交わしたりしている部分を書き纒めたものであった(仲メモ)。右のうち最後の二ページ位は原告の発言している部分であった。

そこで、ヘイマン記者は、右調査委員会の調査表、回答の集計、各委員のコメントが記載された仲メモ等の資料を検討したうえ、日本人女性の三人に二人は妊娠中絶を経験していること及びアンケート対象者中、手術歴の回答欄に、妊娠中絶を記載した例が三例しかなかったことを理解し、原告発言部分の記述については、アンケート対象者中はこのように妊娠中絶を手術歴に記載していない者が多いのは、これらアンケート対象者が妊娠中絶を抜歯と同様に考えているのではないか、との疑問文のような文章としてとらえ、右理解のもとに、「IT ALSO SUGGESTS THAT FOR SOME PEOPLE」といった文脈を作成し、そこに原告の発言として「"HAVING AN ABORTION IS LIKE HAVING A TOOTH OUT,"」を引用する。別紙四記載の記事(以下「ヘイマン記事」という。)を作成した(甲第六号証)。

ヘイマン記者は原告に対して、右ヘイマン記事の発表前の昭和五八年三月頃、電話をかけ、原告に妊娠中絶についての海外向け記事についてのコメントが欲しいので取材させて欲しい旨申し込んだが、原告は、妊娠中絶は重大な問題であり原告個人としての意見が固まっていないこと、海外向け記事のコメントをする立場にないこと等を理由に、右ヘイマン記者の取材申込みを即座に断った。

しかしヘイマン記事は、原告のコメントのとれないまま、共同通信社を通じて、英文毎日新聞及び英文読売新聞に配信され、別紙五記載の記事が英文毎日新聞(昭和五八年四月四日付紙面)に(以下「英文毎日記事」という。)、別紙六記載の記事が、英文読売新聞(同年五月一日付紙面)に(以下「英文読売記事」という。)各掲載された。原告は、右英文毎日、英文読売の各掲載記事には不満を述べなかった。

3  本件記事の作成過程等

本件雑誌は、世界の中で重要性を高めていった日本の文化、政治、社会について徹底的な報道をしようとする意図の元に、被告東京支局によって企画された。

本件記事は、以下の手順を経て作成され、昭和五八年八月一日発行された。

①東京地方局の記者アラン・タンズマン(以下「タンズマン」という。)が基になる資料を取材し、その結果(ファイル)を被告ニューヨーク本局に送った。

②婦人問題を専門に扱う本局所属の寄稿者ジェィン・オライリー(以下「オライリー」という。)が、右ファイルに加え独自の調査、知識に基づき原稿を書いた。

③右原稿は本局において編集され、再び東京地方局に送られ、タンズマンらの校閲を経たうえ、記事として完成した。

4  本件記事の概要

本件記事の内容は、大略以下のとおりである。

本件記事は、「性」と題された頁に、「女性、別世界」の標題付けられ、「伝統への服従、未来への夢」との小見出しが付されている。

第一、第二段落では、日本人女性を語るには「蝶々夫人」抜きでは語れず、現代の日本人女性は、一〇年前のアメリカ女性とよく似た主張をしているとされる。第三段落では、日本人女性も願望の点では、世界中の女性と変わることがないとされるが、第四、第五段落では日本人の国民性として集団的な調和に対する極端な服従が指摘されている。第六、第七段落では、日本人女性の婚姻生活に触れられ、日本人女性は子供のために生活を犠牲にするよう期待されているとする。第八段落は、本件記載部分であり、本件記載に続いて、日本では妊娠中絶を道徳的な問題と考えないことと、ピルが解禁されていないことが、妊娠中絶が容認されている理由であるとされる。第九段落では、日本における妊娠中絶反対運動に触れられ、第一〇、第一一段落では、日本社会は女性に人生の目的を与えるような機会を十分に提供しないので、女性は次第に政治に眼を向けるようになってきたとする。第一二ないし第一六段落では、雇用における女性差別、パートタイマーについて論じられている。第一七段落では結婚以外にも人生の目的を持つようになった日本人女性がいるとされ、最終段落では右のようなタイプの女性が将来必ず日本人女性の主流を占めるとされ、最後に自分の人生を生きたいとする一主婦の発言が引用されている。

5  本件雑誌発行後の経緯

原告は斎藤記者に対して、本件雑誌の発売直後である昭和五八年三月中旬頃、共同通信が調査委員会の記事を被告に配信したのかと電話で問い質したところ、斎藤記者はとにかく事実関係を調査する旨応答した。

更に原告は、同月三〇日、本件調査全体が不十分で、委員会の検討も十分になされないまま、性急に結論を出したやり方に不満があること及び取材情報の管理の仕方、取り扱い方に不満があるとの文面の手紙を共同通信社編集局デスク・編集局次長深瀬に手渡したことがあったが、右文面中にはヘイマン記事の内容自体が原告の発言と異なる趣旨の事実を記載しているとの不満は述べられていなかった。共同通信社内部においても、ヘイマン記事と本件記載を比較検討したが、ヘイマン記事は原告の発言のニュアンスと大差ないこと、ヘイマン記事と本件記載とは明らかに内容的に差異があるとの統一的見解をもった。原告は、右文面中掲記の理由で、調査委員を辞した(なお、調査委員会の研究成果は、昭和五八年四月頃、「数字が語る中高年夫婦の性」として新聞発表され、更に昭和五九年六月「日本人の性」と題する単行本で出版されたが、右単行本には、調査協力者として原告の名は記載されていない。)。

6  本件雑誌の日本語版出版

本件記事が掲載された本件雑誌は非常な反響を呼び、本件雑誌の日本語版として西武タイム社から「タイム日本特集 模索する大国日本」が出版された。右日本語版においては、本件記載に対応する部分が「日本では妊娠中絶は一般的で、成人女性の五人に三人は妊娠中絶の経験を持っているといわれる。」と記載され、「抜歯」「女性婦人科医根岸悦子博士」との言葉は日本語版においては削除されている。

三  不法行為の成否とその責任の有無について)

1  「TIME」誌の平均的読者

《証拠省略》を総合すると、「TIME」誌は、学術誌とはいえないが、全文英語で記載された高級一般週刊誌であり、その平均的読者は、英語の基本的文法を理解し、文脈の流れ、段落構成を意識すると同時に、引用符、カンマ等の位置に充分配慮して、その意味内容を把握することが可能な者であると認められ、他に右認定に反する証拠はない。

2  本件記載の意味内容

ところで、まず、本件記載中、原告の発言部分として引用されている部分はどの部分か、本件発言の趣旨と本件記載の関連性の点について検討する。

(一)  《証拠省略》によれば、本件記載中、「Two out of three Japanese women have had abortion, which is so common,」の部分は本件記載の作成者自身(すなわち被告の本件雑誌編集・発行者、以下同様。)が「日本人女性の三人に二人は妊娠中絶を経験しており、妊娠中絶の経験は頻度として高い」と認識していることを意味し、本件記載中の原告発言引用部分は「"it is like having a tooth out"」の部分のみであり、「which is so common,」という句が原告発言引用部分を修飾し、原告自身が、頻度の観点から、妊娠中絶と同程度の高い頻度のものとして抜歯を指摘した発言をしたことを意味すると、前示の「TIME」誌の平均的読者は理解するものと認められる。

また本件記事中の本件記載の直後に置かれた「One reason for」に始まり「Japan's dense population.」に終わる別紙三3記載部分は、本件記載の作成者自身が、右別紙三3記載部分の直前の文段において発言者としてその氏名が掲記されている原告自身とは全く無関係に「妊娠中絶が産児制限の手段として日常的に是認されている理由は、一つには日本人が性交や妊娠中絶を道徳の問題とは考えないからであり、より実際的な理由は、経口避妊薬が一般的に使用を許されていないからである。」旨認識していることを意味すると、右平均的読者は理解するものと認められる。

右認定に反する趣旨を述べる証人マーシャル・アンガーの証言及び《証拠省略》があるが、同証人は言語文学の専門家としての極めて綿密かつ精緻な文法的解析力に基づく本件記載の解釈を示すものであって、前示「TIME」誌の平均的読者では到底このように理解することが困難であろうと推察されるのであって、右認定を覆すものではない。また証人ジュリアン・ロングによって作成された上智大学学生によるアンケート結果は、その調査方法、対象学生の数及びその英語読解能力に照らし、採用できない。

(二)  次いで、本件発言の趣旨と本件記載の関連性について検討する。前示二2の本件記載の掲載に至る経緯に照らすと、原告の吉田記者に対する本件発言が、吉田メモ、仲メモを経て、ヘイマン記事に纒められ、共同通信社から右ヘイマン記事の配信を受けた英文毎日記事及び英文読売記事が各掲載されたものと認められ、本件記載は、右各新聞記事等を資料として作成されたものと推認するに難くない(右推認を動かすに足る証拠はない。)。

しかし、原告の本件発言が、アンケート調査の対象女性の多くは、妊娠中絶を体験として抜歯のようにしか意識していないのではないかという疑念を表明したものであること(妊娠中絶と抜歯とを体験として比較している主体は、アンケート対象の一般女性である。)は前示のとおりであり、ヘイマン記事及び英文毎日記事の「, it also suggests that for some people "having an abortion is like having a tooth out" said Dr. Etsuko Negishi, a Woman gynecologist on the research team.」との表現、また英文読売記事の「This suggests that for some people "having an abortion is like having a tooth out" said Dr. Etsuko Negishi, a woman gynecologist on the research team.」との表現は、いずれも原告が本件発言で言わんとした趣旨を、ほぼ正確に表現しているものと解されるが、他方、本件記載の原告発言引用部分は、原告自身が右引用内容の意思主体でありかつ右意思を表明する主体として記載され、この意味において原告自身が妊娠中絶と同程度の高い頻度のものとして抜歯に言及したことを表現するものと解されるのである。そうすると、結局両者は、その表現主体、意味内容に著しい齟齬があり、本件記載は原告の本件発言を正確に引用していないものといわざるをえない。

3  名誉毀損行為

そこで、被告による本件雑誌における本件記載の掲載行為が原告の不法行為としての名誉毀損行為を構成するか否かの点について検討する。

(一)  ところで、「TIME」誌のような、購読読者層の知識水準は相当に高く、その発行地域、部数、読者数からみて、その編集記事が社会的に影響力が大きい高級一般週刊誌にあっては、記事中に個人の発言をその実名を明示して公表する場合には、できるかぎり直接発言者に取材して、その意味内容を正確に引用して公表すべきであり、たとえ他所で公表された発言を引用する場合であっても(いわゆる「孫引き」)、学術誌の様な厳密さは要求されないとしても、文意が異なることのないように正確に引用すべきである(発言内容の正確性についての確証がない場合には発表自体を止めるべきであり、そのような場合には個人の実名を公にせず主語を省いた「……と言われている。」との形での表現をとることが十分可能であって、前記引用の要請が報道を制約することになるとはいえない。)。

(二)  本件記載が「三人に二人が妊娠中絶の経験がある」という不正確なデータに基づく記事の直後に位置し、これを前提としたコメントと受け取られる虞れがある位置関係に存すること、その他前記本件記事の見出、全体の構成及び論調に照らすと、右平均的読者の相当数が、本件記事を読んだ後に、女性産婦人科医師が「妊娠中絶」という言葉と「抜歯」という言葉を同次元で使用し(単なる頻度に関する比喩的な表現であるにしても)たもので、科学者としてはいささか軽率な発言であるとの感想をもつであろうことは否定できない。

それゆえ、被告が本件記載掲載に際し、原告に対して直接取材しなかったこと(右事実は、当事者間に争いがない。)、本件記載はその取材源となったと推認される英文毎日記事、英文読売記事とその表現主体、意味内容の点で差異があり、結局原告の発言していない内容を、原告があたかも発言したかのように記載される結果となったこと、本件雑誌の日本語版においては、本件記載中の、原告発言引用部分及び発言主体としての原告の実名が削除されていること(本件記事を通読しても、本件記載部分に原告の実名を挙げて、その発言を引用する必然性はなく、現実に存在する女性産婦人科医師名を掲示し同氏名の女性医師が現実に直接述べた発言を読者に読みとらせ、本件記事に具体性を持たせ、もって本件記事全体の信憑性を高めるため前記数値を明記した記事の直後に「says Dr. Etsuko Negishi, a woman gynecologist.」と記載したものと推察しうるところである。)、原告が、妊娠中絶を単に医学的問題にとどまらず、倫理観、宗教観、歴史観等に拘わる重要な問題として認識し、女性にとって妊娠中絶がいかなる意味をもつのかという点を研究テーマとして、研究を続けていたが、未だ確固たる見解を有するに至らず、右重要性への特段の配慮から、妊娠中絶に関しては、極めて真摯かつ慎重な態度を採り続けていた産婦人科医師であり、妊娠中絶につき専門家の立場からの見識・見解を、その著書等で広く世間に表明していたことといった前示の各事実を総合勘案すれば、被告によってなされた本件記載の掲載行為は、前示経歴、職務、信念のもとに広く婦人問題研究家として社会的活動を続けている原告の社会的評価を減少させる行為と評価され、不法行為としての名誉毀損行為を構成するといわざるをえない。

4  行為による損害の発生

《証拠省略》を総合すれば、本件記載掲載後、原告は右池上、富田らの友人から、なぜ被告に対して本件記載のような発言をしたのか等の問い合わせを受け、対応に苦慮したうえ、従前から研究・活動を共にしてきた女性グループから強い批判を受け次第に気まずくなり、結局袂を別ち、殆ど絶縁状態となったこと、原告は被告からのインタビューによる取材なしに本件記事が掲載され、しかも本件記事により日本国は客観的・合理的データなしに妊娠中絶と抜歯を比較するような国で、日本人女性はそういう形で妊娠中絶を繰り返しているのだという認識が世界中に流れ、この問題に関し、軽々にも比喩的発言をした者として原告の実名が掲記されたことに非常な精神的ショックを受けたこと、当時前記「アボーション」の翻訳にエネルギーを注ぎ、なお妊娠中絶問題にこだわり続け、その研鑚を積んでいた最中であったので、本件記事に接し、殊更に精神的動揺を受けたことの各事実を認めることができるのであって、右認定に反する証拠はない。そして、原告が、本件記載の掲載後、共同通信に対して、調査委員会の資料を、被告に配信したのではないかとの異議を申し入れたことは、前示二のとおりである。

右認定各事実によれば、被告の本件記載掲載によって精神的苦痛を蒙ったものと認められる。

5  責任

前示二の事実関係のもとでは、被告は本件記載掲載に際し、原告を直接取材していないことを知っており、原告の発言の文意が正確に引用されない虞れがあることを、当然認識しえたものと認められるから、右掲載行為をなすにつき、少なくとも過失があったものと認められる。

そうすると被告は本件不法行為によって原告の蒙った損害を賠償する責任があるというべきである。

6  損害額

右2記載の各事実に加え、前示の本件雑誌は全世界で約六〇〇万部発行されたこと、しかし日本国内において発行された本件雑誌の日本語版においては、本件記載中の、原告発言引用部分及び原告の実名が省略されていること、原告の経歴、活動、本件記載の表現内容、表現態様、本件雑誌中における本件記載の占める割合その他諸般の事情を総合勘案すれば、原告が蒙った精神的損害を慰謝するには、三〇万円をもって、相当であると認められる。なお、原告は損害賠償の請求にあわせて、謝罪広告の掲載を請求しているが、前記事情その他諸般の事情を総合すれば、原告の精神的損害を慰謝するには三〇万円の支払をもって足り、それに付加してなお謝罪広告の掲載を命じるまでの必要はないものというべきである。

四  結語

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告に対して損害金三〇万円及びこれに対する不法行為の後の日である昭和五九年三月一七日(訴状送達の日の翌日)から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認否し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文を適用して(仮執行宣言の申立については事案の性質上これを付すのは相当でないから、右申立を却下する。)、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤瑩子 裁判官 菅原崇 中村愼)

〈以下省略〉

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